シェアする | ツイートする |
北塩原村の「地域おこし協力隊」一期生(平成26年から)として活躍され、その後、定住された、赤木進二(あかぎ しんじ)さんに話を伺いました。
■移住のきっかけは
横浜生まれで、東京育ち、仙台にある大学へ進学、その後、東京の出版社へ就職。出版社で20年近く過ごして退職。こちらに住むきっかけは「大学を東北で過ごしたのがきっかけになるのかな・・・」
退職後に、山手線の中刷り広告に目が留まった。福島県の複数の自治体の地域おこし協力隊の合同募集記事、「地域おこし協力隊での田舎暮らし」を思い描き、虎ノ門の日本財団ビルでの合同説明会に参加して北塩原村へ。
■地域おこし協力隊の活動は
大塩地区大久保集落の古民家に移住して、地域おこし協力隊がスタート。主な業務は、初年度は空き家の調査、2年目は、森のはこ舟アートプロジェクト(5市町村合同プロジェクト)に参加した。
集落のみなさんにたいへん親切にしていただき、友好的に過ごせ、村民とのネットワークも増えだしたようにも思えたので、3年目の契約は更新せず、村内のいくつかの事業所で就業し現在に至る。
■卒業後の進路について
村内の事業所にこだわって求職してみた。短期間だが、山塩企業組合や、曽原の旅館で働き、その後は主にNPO法人裏磐梯エコツーリズム協会に所属しながら、農業の手伝いやペンションの手伝いなど、だいたいトリプルワークで日々を過ごしている。他には、地域おこし協力隊の経験の流れで、移住促進事業「会津チャレンジライフ」の地域ディレクターも務めている。いろいろな人との交流で一年を通していろんな仕事ができるようになっていった。ひとりもので、時間の自由がきくものだから、消防や交通安全協会など、自治活動にもお誘いいただいたものは、なるべくやるように心がけている。
大久保地区の暮らしも、8年が経過し、古民家や庭の植木の手入れと「田舎暮らし」が充実してきている今日この頃です。
■これから移住を考えている方へのアドバイスを
「地域おこし協力隊」制度も少しずつ形態を変えながら運用されているようで、今は必ずしも「中山間地の集落でチャレンジライフ」とはなっていないようです。ですが、自分の場合は、全く新しい生き方や人間関係を会津の山村で築く機会を得られたので、当時の制度や採用してくれた北塩原村には大変感謝しております。当村の場合は、裏磐梯という大観光地を抱えているものの、まあ一言でいえば農村なのですから、都会暮らしに飽きた若い家族連れに就農移住をしていただきたいものです。税金や燃料費(ガソリン代、灯油代)で一定の現金が出ていってしまい、その割に田舎の時給は決して高くないので、お金のやりくりは本当に大変ですが、集落での暮らしは、いただいたり自分で作ったりおいしい食べ物には一生不自由しないですよ、たぶん。