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噴火の概要とその後について。
大磐梯・櫛ヶ峰と小磐梯の三峰あった磐梯山が、1888年(明治21年)に小磐梯の地下で水蒸気爆発が起こり、山体崩壊し、磐梯山北側の集落を土砂が流れ込み、明治以降日本の噴火で最大の被害(477名死亡)をもたらしました。
一方、土砂が流れ下ったことで川を堰き止めて多くの湖ができたり、土砂が堆積して多数の小丘ができました。また、1910年頃五色沼周辺の植林が行なわれ、裏磐梯全体緑豊かになり、標高800m前後の高原に荒々しい磐梯山の姿とともに風光明媚な景色が広がるようになりました。
噴火記念館について。
噴火100年を記念して、1988年に設立しました。民間が設立した施設ですが、1993年には博物館相当施設として福島県教育委員会から指定を受けています。
「館長としての私の思いは、裏磐梯という一大観光地は噴火から生み出されていることをしっかり理解してほしいということです。そのためにも、ぜひ当館にお越しいただき見学ください。時間があれば私もお話させていただきますので、気軽に声をおかけください。」
その他。
普及活動の一つとして、学生向け(小学校から高校)に火山の理解を深めてもらう授業を積極的に行なっています。当館に来て授業をするケースも多くありますが、学校へ出張して授業も行なっています。また、他の博物館や図書館との連携を図り、いろいろなテーマで企画展を共同で開催し、普及活動も行なっています。
素晴らしい景色の裏には恐ろしい現実があることをしっかり理解してもらいたいと考えています。そして、いつ噴火するかわからない現実を理解して、常日頃から防災について考えてほしいと願っています。